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内服薬の起源

こんにちは、周です。今回は内服薬の起源についての話です。

原始社会の初期、人間はまだ「生産」と言えるほどの営みはありません。ただ共同で生活しているだけです。しかし、生活の中で野生の草木・根茎・果物などを採って食べるうちに、時々下痢・嘔吐、酷ければ人事不省(意識不明)、死に至るという事態に陥ることもあります。こうした経験の繰返すうちに、人間は次第に植物が有毒なのか、無毒なのかを見分けることができるようになります。さらに、そこから進んで細かく、用途までに応じて使い分けるという知恵が得られるようになります。口あたりがよくて、香もよい、無毒なものは「食用」とし、毒性が強いものは、狩り用の毒矢に用いる、といったことも覚えたのです。

原始時代の人々がどんなものを食べたでしょうか?北京原人の遺跡から朴樹種(ホウの木の実)、河*(女に母)渡遺跡から葫芦・菱角(ヒシの実)、酸棗(ナツメの一種)・芡実(オニバスの実)・水稲などが出土しています。また、西安の半坡遺跡からは、白菜・芥菜の種子が発見されています。植物だけではなく、動物性食料も段々食べるようになりました。

植物性の薬物についての知識は、伝説の人物―神農という先人たちが、自ら多数の野草をなめたり食べたりして、薬か食料かの適否や区分し、少しずつ蓄積され、伝承されました。その伝説は≪史記≫に記載しています。

このようにして、原始社会の人々は、植物や動物を食料として口にしながら、少しずつ食用と薬用の違いを認識するようになり、区別できるようになりました。そして、ある種の動物の脂肪・血液・肝臓・胆嚢・骨格・甲殻は、人間に対して治療作用があることを知ります。それは動物性生薬の発見であります。

もちろん、こうした植物性・動物性の薬物についての知識や経験の集積は、当時の人々の生活体験と離れてはあり得ません。中国古代から今日まで流伝してきた「医食同源」という説は、このような背景に支えられて生まれたのです。

新石器時代の終りに、青銅器を扱うようになって、鉱石の採取が行われるようになり、人は鉱石の性質への理解を深めるにつれ、その中にある種のものは病気を治す効果があることにも気づきました。
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by jbucm | 2011-04-25 09:30 | 中医学 | Comments(0)