『黄帝内経』筆記 蔵象学説(八十一)

霊枢・邪客第七十一⑤

【原文】岐伯曰:手太陰之脈、出於大指之端、内屈、循白肉際、至本節之後大淵、留以澹①。外屈、上於本節之下。内屈、與陰諸絡會於魚際、數脈并注、其気滑利、伏行壅骨之下。外屈、出於寸口而行、上至於肘内廉、入於大筋之下。内屈、上行臑陰、入腋下。内屈、走肺。此順行逆數之屈折也。

心主之脈②、出於中指之端、内屈、循中指内廉以上、留於掌中、伏行兩骨之間。外屈、出兩筋之間、骨肉之際、其気滑利、上二寸。外屈、出行兩筋之間、上至肘内廉、入於小筋之下、留兩骨之會、上入於胸中、内絡于心脈。

黄帝曰:手少陰之脈独無腧、何也?岐伯曰:少陰、心脈也。心者、五藏六府之大主也、精神之所舍也、其藏堅固、邪弗能容也、容之則心傷、心傷則神去、神去則死矣。故諸邪之在於心者、皆在於心之包絡。包絡者、心主之脈也、故独無腧焉。

黄帝曰:少陰独無腧者、不病乎?岐伯曰:其外經病而藏不病、故独取其經於掌後鋭骨之端。其餘脈出入屈折、其行之徐疾、皆如手少陰心主之脈行也。故本腧者、皆因其気之虚実疾徐以取之、是謂因衝而瀉、因衰而補、如是者、邪気得去、眞気堅固、是謂因天之序③。

【注釈】①循白肉際、至本節之後大淵、留以澹:「白肉際」とは、手足の内側と外側皮膚の赤い部分と白い部分が分かれる際です。「本節」とは手足の指(趾)が掌部に繋ぐ関節です。「澹(たん)」とは、「淡」と通じて、あっさり・静かである意味です。『類経・鍼刺類・二十三』には、「脈気は太淵穴に集まり、寸口の動脈になる」と説明した。

②心主之脈:手の厥陰心包の脈を指します。

③本腧者、皆因其気之虚実疾徐以取之、是謂因衝而瀉、因衰而補、如是者、邪気得去、眞気堅固、是謂因天之序:「本腧」について、『類経・鍼刺類・二十三』では次のように説明しました:本腧は少陰本経の腧穴であり、上文に言う「皆在心包」と違う。「衝」とは、盛の意味です。なお、『霊枢集注・巻八』にも次のように述べました:少陰の本腧を使うのは、正気の虚実によることであり、邪気によることではない。心気が盛んであれば、それを瀉し、心気が衰弱すれば、それを補する。理由は、真気が内蔵してあるからです。内蔵してある真気が堅固であれば、邪気が外の経脈にあっても内臓を損傷しない。「因天之序」とは、自然規律です。

【説明】本節(前回と今回の分)は、手の太陰肺経と心主(厥陰心包)経の循行屈折を例にして、正経十二脈の出入・屈折を説明した。今回の分は理解し易いので、翻訳してないです。

なお、「少陰独無腧」とは、『霊枢・本輸』篇の心経に輸穴がないという話についての説明と解釈です。しかし、「少陰無腧」と言いながら、本節にはまた其の外の経病の治療に、その「本腧」(神門穴)を使うと説明してある。なので、『類経』にまたこう言いました:心蔵に病が無い、だから治蔵に腧がない;少陰経に病がある、だから治経の腧がある。ここは、心包が心臓を守るから、外邪が侵入しても心臓まで至らないということを説明してあります。本意は、心臓の重要性及びその病理特徴を強調したいとのことです。機械的に「心経に穴がない」と捉えないことです。


(李)
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by jbucm | 2014-10-09 10:30 | 中医学 | Comments(0)

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