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2014年度の北京研修旅行


 去る10月20~25日、日本校の卒業生及び在校生の19名の方々が北京中医薬大学の研修旅行にご参加頂きました。

 参加された皆様の温かいご協力によって、無事に終了致しましたことを心から感謝申し上げます。

 短い旅とは言え、中医病院で本格的な体験をされて、充実な毎日を送ることが出来たことと思います。その様子を今回の研修旅行に参加されてない皆さんにもお届したいと思います。

 21、22日の終日、23日午前中は病院研修。内科学(腎臓泌尿器系・脳神経系・心血管系・呼吸器系)の研修は病棟にて、婦人科及び針灸科は外来にて行いました。
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 今回の昼食は、今まで利用したレストランが営業しなくなった爲、1日目は教室の中で出前の弁当を食べ、23日目は病院の職員食堂でお弁当を食べました。少し寒かったし、皆さんがあまりゆっくり昼休みをとれなくて、大変申し訳ありませんでした。


23日午後北京本校の見学、そして、4時半より、日本校中医中薬専攻科・2014年度の卒業式が北京中医薬大学の小ホールにて行いました。北京中医薬大学谷 暁紅副学長、日本校の高 鶴亭学長、植松理事長に暖かい祝福のお言葉を頂きました。今年32名卒業生の中、13名の方が北京にて学長らより卒業証書を受け取りました。なお、倉地 雪絵様が卒業生を代表して答辞を述べました。
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卒業式の後、高学長や外事処の張処長ら、北京本校に留学されている6名の方々と一緒にお祝いのパーティーを開き、色んな交流ができ、楽しく歓談しながら、おいしくお食事をいただき、すてきな時間がすごせました。

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 24日は自由行動ですが、5名の方が万里の長城を登ってきまして、8名の方が薬用植物園にご見学し、有名な薬膳料理を体験されました。他の皆さんは、もやがかかっている天気の中、北京市内を見学や、買い物を楽しんでいました。
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 今回の研修旅行は、北京本校の学長をはじめ外事処の先生方、東直門病院の先生方、及び通訳の方のご支援と細かいご配慮によって実現されたことを心から感謝いたします。

(李)


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by jbucm | 2014-10-30 10:30 | 学校行事・お知らせ | Comments(0)

張景岳


こんにちは、周です。今回は医家・張景岳の紹介です。

張景岳(1563~1640年)は、張介賓とも言い、会稽(今の浙江省紹興)人で、字を会卿と称し、明代の著名な医家で、温補派を代表する人物であります、その学術思想は後生に大きな影響を及ぼします。

彼は幼少から学問を好み、父(張寿峰)の指導の下で、経典医書を読み始めていました。少年(13歳頃)時代、父にしたがって都(北京)へ赴き、名医金英について医道を学びました。経史(経書と史書)百家に広く通じていた他、易経・道・兵法・音楽に秀で、古典医学(黄帝内経)に長じていました。性格が豪放であり、数年間の「功利成就」なしの軍隊生活を経て除隊した後、故郷に帰りました。その後、医道を潜心して医術が上達しました。
当時の人々に「再生仲景東垣」(張仲景・東垣の再来)と称賛されました。晩年(57歳)、臨床診療に専心し、著書にも専念しました。崇禎13(1640年)年に亡くなり、享年78歳でした。

中年時代からの張景岳は、著書することが多くなりました。30年の歳月をもっぱら≪黄帝内経≫の研究にかけ、原文を分類・摘録し、編を分けて注解を加えました。1624年に≪類経≫を完成しました。同年に編纂された≪類経図翼≫≪類経附翼≫は、≪類経≫に対する追加説明(図或いは付加説明文で説明する)でした。この三書は、以後≪黄帝内経≫を学ぶ者に大きな便宜を提供することとなりました。
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後世の医家は、張景岳が温補派を代表する中心人物であると思いますが、彼は温補だけを主張するではなく、温補を重視したわけであります。その他の多方面の治法・医学理論にも研究しました。また易経・道・兵法・音楽にも造詣が深かったです。

晩年の著作には、《景岳全書》六十四巻があります。全書は内容が豊富で、総合的な医書で言え、価値がある臨床参考書であります。
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by jbucm | 2014-10-27 09:30 | 中医学 | Comments(0)

完璧帰趙

こんにちは、周です。今回は成語――「完璧帰趙」(wan bi gui zhao)を紹介します。

今は(借りた物を)少しも損なわずに返す.そっくりそのまま返すという意味で使われています。完は完全・欠けない意味で、壁はドーナツ型をする玉器を言い、趙とは趙国を指します。戦国時代、趙国の藺相如は、秦国の15の城と交換する爲「壁」を持って秦に行きましたが、秦王に誠意がなかったのを見て、その「壁」を取り返し、無事に持ち帰ったという故事からです。

出典は『史記・廉頗藺相如列伝』です。戦国時代(紀元前五~三世紀)・紀元前283年に、趙の恵文王が「和氏の壁」という名玉を手に入れました。この噂は忽ち各国に広まり、早速秦王が使者を趙国へ送り、秦国の15の城を「和氏の壁」と交換してほしいと申し入れであります。交換などと言った相手は、大国(強国)の秦国!ただで貰う気がする!趙の恵文王は、そう思って、直ちに重臣会議を開きましたが、誰も対応策を思いつきませんでした。

その時、重臣の一人が部下の藺相如を推薦しました。
呼ぶ出されて恵文王の前に出た藺相如は、こう言いました:秦国は強国であり、申し入れを受けるべきです。秦に攻撃の口実を与えてはいけません。
恵文王:だが、壁を取られ、城は貰えないということになったらどうする?
藺相如:いや、心配ご無用。私は使者に立ちましょう。城が手に入ったら壁は置いて行きます。城が手に入らなければ壁は持ち帰ります。
こうして藺相如は、壁を持って秦に行きました。

壁を手にした秦王は、傍に居た美女や家来に見せて大喜びであります。だが、交換するはずの城は、全然話しません。それを見た藺相如は、壁を取り戻そうと、秦王にこう言いました:実は、その壁には小さな傷があります。見つけ難いので、それを教えましょう。
壁を受けると、宮殿の柱を背にしてすっくと立ち上がり
藺相如:秦王は交換する誠意は、ちっともない!取れるものなら取ってみろ!その前に私の頭とこの壁を柱に叩きつけて粉々にしてやる。

その死を恐れない気魄に、秦王はすっかり気を飲まれてしましました。そこで藺相如は、堂々で熱弁を振って、遂に壁を趙に持ち帰ることができました。その後、趙の恵文王に上大夫(官名)に昇進されました。
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by jbucm | 2014-10-20 09:30 | 中国語 | Comments(0)

「単味」良方の紹介 その13

こんにちは、周です。「単味」良方の紹介です。

腰痛

韭菜(韭)
①韭と玉子炒める 料理として食べる。この方は老年人の腎虚腰痛・虚寒咳喘・陽萎・夜尿頻尿・胃脘冷痛・四肢冷に適応する。
②韭30~60g 大米100g 先ず米をお粥にして、1~2cmに切った韮を入れ、5分位煮る、塩で味を調える。常食する。この方は助陽暖下・補中通絡作用があり、背寒気虚・腰膝酸冷に適応する。

韭籽(韮の種)
韭籽適量 粳米100g 先ず粳米をお粥にして、細かく研磨した韭籽を入れ、5分位煮る。塩で味を調える。朝晩ご飯として食べる。

香椿
香椿葉・生姜 各適量 上記生薬を一緒にすり鉢で泥状になるまで擂る。白酒で患部を繰り返す摩擦してから、泥状になった香椿葉・生姜を塗る。

生姜
生姜500g 生姜は綺麗に洗い、おろし器でおろして、汁を絞り出してお椀に入れる。生姜渣(かす)をフライパンで炒って、布で包んで、患部をなでおさえる。冷たくなったら、生姜汁を足して再加熱(炒める)してから繰り返すにする。この方は胸膈脹滿・風湿性腰脚痛・軟組織捻挫傷に最適する。

小茴香
小茴香150g 塩500g 上記物をフライパンで炒って、布で包んで、患部をなでおさえる。繰り返す使用可。

茴香
茴香10g 猪腰(豚の腎臓)2個 茴香は炒ってから研末する。猪腰は縦に半分を切る、(多め)塩でモミモミしてから水で洗い流す(尿の臭味を取る)。茴香(粉末状)を猪腰に入れる。アルミホイルで包み、熟まで煨する(蒸し焼き)。空腹時に塩・お酒で送服する(塩で味付け、酒を飲みながら食べる)。


麦麩 酢 麦麩に酢を混ぜる、炒めてから患部に当てる。

黒胡麻
黒胡麻30g 核桃仁(クルミ)30g 黒胡麻・核桃仁は白酒500ccに浸ける。密封して陰涼処(日当らない場所)に置き、半月後に飲用できる。毎回15cc、毎日2回。この方は益腎作用がある、腎虚の慢性咳嗽にも有効する。
注意事項:飲酒に不適宜の者は禁忌

胡麻
炒り胡麻 花生仁(去殻の落花生) 薏苡仁 棗(去核) 米 上記ものをお粥にして食べる。常食する。

黒豆
黒豆60g 陳皮5g 小茴香3g 生姜10g 猪腰(豚の腎臓)2個 炖して(調味料に浸けてもよい)食用する。

次回へ続き
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by jbucm | 2014-10-13 09:30 | 中国の薬膳 | Comments(0)

『黄帝内経』筆記 蔵象学説(八十一)

霊枢・邪客第七十一⑤

【原文】岐伯曰:手太陰之脈、出於大指之端、内屈、循白肉際、至本節之後大淵、留以澹①。外屈、上於本節之下。内屈、與陰諸絡會於魚際、數脈并注、其気滑利、伏行壅骨之下。外屈、出於寸口而行、上至於肘内廉、入於大筋之下。内屈、上行臑陰、入腋下。内屈、走肺。此順行逆數之屈折也。

心主之脈②、出於中指之端、内屈、循中指内廉以上、留於掌中、伏行兩骨之間。外屈、出兩筋之間、骨肉之際、其気滑利、上二寸。外屈、出行兩筋之間、上至肘内廉、入於小筋之下、留兩骨之會、上入於胸中、内絡于心脈。

黄帝曰:手少陰之脈独無腧、何也?岐伯曰:少陰、心脈也。心者、五藏六府之大主也、精神之所舍也、其藏堅固、邪弗能容也、容之則心傷、心傷則神去、神去則死矣。故諸邪之在於心者、皆在於心之包絡。包絡者、心主之脈也、故独無腧焉。

黄帝曰:少陰独無腧者、不病乎?岐伯曰:其外經病而藏不病、故独取其經於掌後鋭骨之端。其餘脈出入屈折、其行之徐疾、皆如手少陰心主之脈行也。故本腧者、皆因其気之虚実疾徐以取之、是謂因衝而瀉、因衰而補、如是者、邪気得去、眞気堅固、是謂因天之序③。

【注釈】①循白肉際、至本節之後大淵、留以澹:「白肉際」とは、手足の内側と外側皮膚の赤い部分と白い部分が分かれる際です。「本節」とは手足の指(趾)が掌部に繋ぐ関節です。「澹(たん)」とは、「淡」と通じて、あっさり・静かである意味です。『類経・鍼刺類・二十三』には、「脈気は太淵穴に集まり、寸口の動脈になる」と説明した。

②心主之脈:手の厥陰心包の脈を指します。

③本腧者、皆因其気之虚実疾徐以取之、是謂因衝而瀉、因衰而補、如是者、邪気得去、眞気堅固、是謂因天之序:「本腧」について、『類経・鍼刺類・二十三』では次のように説明しました:本腧は少陰本経の腧穴であり、上文に言う「皆在心包」と違う。「衝」とは、盛の意味です。なお、『霊枢集注・巻八』にも次のように述べました:少陰の本腧を使うのは、正気の虚実によることであり、邪気によることではない。心気が盛んであれば、それを瀉し、心気が衰弱すれば、それを補する。理由は、真気が内蔵してあるからです。内蔵してある真気が堅固であれば、邪気が外の経脈にあっても内臓を損傷しない。「因天之序」とは、自然規律です。

【説明】本節(前回と今回の分)は、手の太陰肺経と心主(厥陰心包)経の循行屈折を例にして、正経十二脈の出入・屈折を説明した。今回の分は理解し易いので、翻訳してないです。

なお、「少陰独無腧」とは、『霊枢・本輸』篇の心経に輸穴がないという話についての説明と解釈です。しかし、「少陰無腧」と言いながら、本節にはまた其の外の経病の治療に、その「本腧」(神門穴)を使うと説明してある。なので、『類経』にまたこう言いました:心蔵に病が無い、だから治蔵に腧がない;少陰経に病がある、だから治経の腧がある。ここは、心包が心臓を守るから、外邪が侵入しても心臓まで至らないということを説明してあります。本意は、心臓の重要性及びその病理特徴を強調したいとのことです。機械的に「心経に穴がない」と捉えないことです。


(李)
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by jbucm | 2014-10-09 10:30 | 中医学 | Comments(0)

山薬の伝説

こんにちは、周です。今回は山薬の伝説を紹介します。
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大昔、両国間の戦争がありました。強い方は弱い方を破り、敵国(弱い方)の国土を占領しました。弱軍隊(負けたほう)は数千人しか残されていませんでした、山に逃げ込みました。その山は「易守攻難」の地形に属し、強軍(勝ったほう)は何回か攻撃しましたが、失敗で終わりました、山を包囲し、餓死させるという作戦変更されました。
半年を経ちました。強軍の指揮官は弱軍の食糧などの貯えは殆ど無くなると思い、再び攻撃しましたが、応戦されなかったです。8ヵ月も経過しました。今度こそ、敵軍が全員死んだと思って、警戒を油断していまい、毎日酒色(酒と女)に溺れていました。
ある日の深夜、突然に山中から「人強馬壮」(兵が強くウマが丈夫だ、強い軍隊の形容)軍隊(弱い方)が下山し、強軍の駐屯地を襲撃し、全勝しました。

何故、弱軍は1年近く山中に包囲されたのに生きられ、しかも「人強馬壮」となれたでしょうか?それはある植物(のちに山薬と称するもの)があるからです。その植物は山に自生する蔓性の多年生草木で、地中深く・長大な根を肥大し、夏に開花します。包囲された1年間、兵士は根を食べ飢餓を凌ぎ、馬は葉と蔓を飼料として食べました。

その植物を記念するため、「山遇」(山に包囲される・糧はない時に出遭った)と名付けられました。「山遇」は食用するようになり、段々食糧に充てるだけではなく、健脾胃・補肺腎という作用もある、脾虚泄瀉が治療できる、薬をとして使えると分かりました、そして名前は「山遇」から「山薬」に変更しました。

山薬の効能を紹介します。
性味帰経:甘、平。脾・肺・腎経に帰経する
効能:益気養陰・補脾肺腎
応用:脾虚気弱の食少便溏或いは泄瀉。肺虚喘咳。腎虚遺精・頻尿・(婦人)白帯過多
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by jbucm | 2014-10-06 09:30 | 中医学 | Comments(0)

『黄帝内経』筆記 蔵象学説(八十)

霊枢・邪客第七十一④

【原文】黄帝問於岐伯曰:余願聞持鍼之數、内鍼之理、縱舍之意、扞皮開腠理①、奈何?脉之屈折出入之処、焉至而出、焉至而止、焉至而徐、焉至而疾、焉至而入②?六府之輸於身者、余願盡聞③、少敘別離之処、離而入陰、別而入陽、此何道而從行④?願盡聞其方。

岐伯曰:帝之所問、鍼道畢矣⑤。黄帝曰:願卒聞之。

【注釈】①余願聞持鍼之數、内鍼之理、縱舍之意、扞皮開腠理:「縱」は緩の意味で、「舍」は使用しないことです;「扞皮」とは皮膚の表面を押さえ、伸ばせることです。私は、針を持つ法則、鍼刺の原理、鍼刺の縱舍(加減)の意義、及び皮膚と腠理を開く理由を聞きたい。

②脉之屈折出入之処、焉至而出、焉至而止、焉至而徐、焉至而疾、焉至而入:「屈折」とは、経脈循行の屈折と回転を指します。「出・止・徐・疾・入」に関しての解釈は幾つがあり、『霊枢注証発微・巻八』では、鍼刺の方法であると説明してあるが、『類経・鍼刺類・二十三』には、井・滎・輸・経・合の五輸穴を指すと注釈してある。『類経・鍼刺類・二十三』に従ったほうが理解し易いでしょう。経脉の屈折と出入のところについて、経気の流れは、どこで外出、どこで止る、どこで徐行、どこで速くなる、どこで入る?

③六府之輸於身者、余願盡聞:六腑が全身へ輸注の情況も全部聞きたい。

④少敘別離之処、離而入陰、別而入陽、此何道而從行:「少敘」とは、序言です。「別離之処」について、『類経・鍼刺類・二十三』には、経絡の支別離合の処を指すと解釈しています。経脈の離合のところについて、経気はどうして陽経から別離して陰経に入り、また陰経から別離して陽経に入る?どういう道に従っているか?

⑤帝之所問、鍼道畢矣:鍼刺の道理は全部黄帝の質問の中にあります。

(次回へ続く)

(李)
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by jbucm | 2014-10-02 12:30 | 中医学 | Comments(0)