こんにちは、周です。今回は孫思邈の話をします。
孫思邈は、世称「孫真人」で(世の中、「孫真人」を呼んでいる)、後世の人々から「薬王」と尊称を奉ぜられています。陝西省耀県孫家塬の人で、隋代の開皇元年(581年)に生まれ、唐代の高宗永淳元年(682年)に亡くなりました。享年102歳の長寿でした(140歳で没した説もありました)。
彼は幼い頃から勉強好き、読書に親しみ、7歳にして毎日に千余言をよむ、「聖童」と称されました。医家としての臨床経験は80年に及び、朝野にその名が知られ渡ったそうです。彼は何回も爵位を授けられようとしましたが、固く固辞して受けようとしなかったです。
晩年の孫思邈は著書に専念していました。南宋の文学家―葉夢の《避暑録話》によりますと、彼は100歳過ぎた頃から、《千金要方》30巻の著書を始め、亡くなった永淳元年(682年)に、最後の30年の臨床経験を加え、《千金翼方》30巻を完成させました。
《千金要方》と《千金翼方》(併せて《千金方》と称します)は孫思邈が生涯をかけて、唐代以前の医学資料と自分の数十年の臨床経験を総括して、研究してできたものです。彼の著作は、上記のもの以外にも、史志に記載されたのは沢山があります(例えば、《枕中素書》《摂生真録》《孫真人丹経》)が、ほとんど残されていません。
孫思邈は中医学への貢献が大きく、及び医徳医風(モラルと医術がよい)の良さで、歴代中国人民の愛戴(敬愛)を愽されて、伝説もあります(次回紹介します)。千百年以来、彼を偲ぶ廟は全国各地で建てられ、特に故郷(出身地)の耀県には、「薬王山」に「薬王廟」を建て、廟内に碑亭、石刻も造られていました。毎年2月に、「薬王廟」にて、記念行事を行われて、名古千垂(永遠に名が残る)の偉大な医薬家を偲びます。