こんにちは、今回は「中薬対聯」の話です(対聯にいついては、
2008年12月28日のブログご参照ください)。
中国民間では、中薬名を用いて書いた「対聯」=「薬聯」が語り伝えられています。例えば:「郁李仁行百歩与紅花重楼相会、山木通別雲母同菊花海南成親」「稚子牵牛耕熟地、将軍打馬過常山」「鼓架鼓架、陳皮不能敲半下(夏)」「紅娘子生天仙子、一副生化湯」「女貞子産劉寄奴、二包止迷散」。今回はそのエピソードを紹介します。
清の時代詩人・袁牧氏は、外遊先で、寺の和尚(お坊さん)から、ある「対聯」の「下聯」を求められました。その「対聯」は民族英雄・岳飛の率いた軍隊で使われた「堂鼓」に関するものでした。「堂鼓」は迫害された岳飛を偲ぶ為、和尚の恩師が収蔵したもので、年月を経て、暴風雨の被害が受けられ、「堂鼓」を保管していた「鼓楼」が崩壊し、「堂鼓」が壊されました(鼓架が折れ、堂鼓が土の中に半埋め状態となった)。恩師が「堂鼓」を見ながら、寂しそうな、{「鼓架鼓架、陳皮不能敲半下(夏)」、必ず「下聯」を書ける人が見つけ、鼓楼を修復し、堂鼓を掘り出し復元して}との遺言を残してなくなりました。和尚が恩師の遺志を継ぐようと、千方百計(あらゆる方法)で「下聯」が書ける人を探しました。
袁牧は和尚の話を聞きながら、不思議な「対聯」の「上聯」だなぁと思い、「下聯」が暫く出て来ませんでした。その時、ちょうど家の使用人や衙門役(役所の小使)達が「灯籠」を持ち(「灯籠」は「ちょうちん」で、照明用具です)、主人の袁牧を探しに来ました。すると、袁牧が閃きました、「灯籠灯籠、紙(枳)殻原来只防風」、「下聯」を言いました。
上聯:鼓架鼓架、陳皮不能敲半下(夏)
下聯:灯籠灯籠、紙(枳)殻原来只防風
「対聯」は22文字から構成され、工整準確、琅琅上口(工整正確、朗々口ずさみ易い)だけではなく、陳皮・半夏・枳殻・防風という4味中薬を嵌入しました。まさに世間の人に伝唱される佳作でした。
堂鼓=唐鼓とも書く、現在は中国の演劇、主に武劇で用いる太鼓の一つ、日本の櫓太鼓に似たもので、4本足の台上に上向きに据え、2本のばちで打つ。
同じく、清の時代名医・傅青主氏とある老中医の「対聯」を紹介します。
ある老中医が傅青主の「医文」を確かめるため、傅青主の所に訪れました。
老中医:紅娘子生天仙子、一副生化湯
傅青主:女貞子産劉寄奴、二包止迷散
老中医:白頭翁騎海馬、赴常山揮大戟、怒戦草蔲百合、不愧将軍国老
傅青主:何首烏架河豚、入大海操仙茅、逼殺木賊千年、堪称長卿仙人
以上の「対聯」を交わした後、老中医は傅青主が「名不虚伝」(評判に違わない)であることを確信しました。お別れの言葉も、やはり「中医対聯」でした。
傅青主:生地変熟地望常合歓
老中医:望月乗月明定来夜交
それでは、皆さん、よいお年を。
(周)