こんにちは、今回は「中国古代十大著名学術之祖」の紹介です。
針灸之祖―黄帝
伝説上の漢民族の始祖とされる人物で、中国上古の帝王です。≪内経≫は、黄帝の名に医学の奥義を託し、岐伯・雷公という副人物が登場して論じられた著作です、その中に針刺についての記載や論述は特に詳細で、喩穴・刺閤・刺禁等についても、比較的に詳しく記載されています。
脈学提唱者―扁鵲
姓は秦、名を越人と称し、出身は戦国渤海郡(現在の河北・任丘)です。≪史記・戦国策≫にも:「太子尸厥已死、而治之复生。斉桓公未病、而知其後五日不起、名聞天下」、扁鵲の生涯と記事・伝記医案も記載され、脈学提唱者として推奨されています。
外科之祖―華佗
名前は敷とも呼ばれ、字(あざな)は元化と称し、出身は後漢末沛国(現在の安徽・毫州)です。内科・外科・婦人科・小児科・針灸の各科に精通し、中でも特に外科に長じ、外科分野では、その卓抜した手技で名を成していました。全身麻酔手術を創始したのであります。
医聖―張仲景
名を機と称し、出身は漢末向陽郡(現在の河南・南陽)です。張仲景が著わした≪傷寒雑病論≫は、300年余りの漢の時代の臨床経験を纏め、中国中医学の発展に貢献した著作です。
予防医学の提唱者―葛洪
字(あざな)は稚川と言い、自ら抱朴子と号し、出身は東晋時代丹陽句容(現在の江蘇・句容)です。有名な宗教家でもあります。葛洪が著わした≪肘後方≫は、天花という伝染病(痘瘡、天然痘、天行発斑瘡ともいう)について最初に記載した著作です。
薬王―孫思邈
2009年3月2日と3月16日の記事―「孫思邈」「坐虎針龍」をご参照ください。
小児科之祖―銭乙
字(あざな)は仲陽と言い、出身は北宋鄆洲(現在の山東省・東平)です。≪小児薬証直訣≫を著した医家です。
法医(法医学の専門家)之祖―宋慈
出身は宋代福建省です。1247年に宋代の以前の法医学方面の経験や、本人自身が4任法官(4代歴任裁判官)の心得に基づいて、≪洗冤集録≫を著わしました。それは、世界でも最初の法医学文献です。
薬聖―李時珍
字(あざな)は東壁と言い、頻湖と号し、出身は明代蘄州(現在の湖北・蘄春)です。参考文献800余種、27年間の労苦を経て、≪本草綱目≫という、後世にも絶大な影響力を持ち、中国の医学史上の巨著を完成しました。その時は60歳でした。
≪医宗金鑒≫総修(編纂する)官―呉謙
字(あざな)は六吉と言い、出身は清時代安徽省歙県です。1736年(乾隆元年)に太医院院判に任せられて内廷に供奉し、皇帝より重用され、清代初期の名医です。≪医宗金鑒≫は総合医学医書であり、全書90巻、15部門に分かれ、全編を通して臨床実践に重点を置いて注釈が加えられ、絵図・処方・医論を載せ、暗唱に便利な歌訣(歌)も併せて記載されて、太医院(太医を育成する学校)のテキストとして活用されました。その編集はよく整理されている上、内容も豊富であり、論旨は簡明で、妥当な方剤の選択がしている為、後世からも高く評価され、広い範囲に流行しました。
(周)