こんにちは、周です。今回は「黄土救太子(黄土が太子を救う)」の話です。
銭乙(
2009年10月12日 六味地黄丸の伝説 ご参照ください)は宋代著名な小児科医者で、≪小児薬証直訣≫を著した医家です。後世から「児科之聖」と尊称されます。
彼は翰林医官(唐代以後に設けられた、皇帝の侍従官)に奉仕期間中、皇太子が突然病に罹り、何人か名医に診察して頂いたが、効果が良くありませんので(重くなり、痙攣する)、父親である皇帝(宋神宗)は凄く焦りと不安になりました。
その時、皇帝が推薦され銭乙を宮内に呼び寄せました。皇帝は身材痩小、貌不出衆(身長が低く痩せて・普通の顔立ちしている)銭乙と初対面です、そんな銭乙を見下ろしました。仕方がなく、本人も来ていますし、そのまま帰させるわけ行きません、一応見て貰うしかないと思いました。銭乙はゆっくりと太子の診察した後、「黄土湯」を処方しました。不信感を抱いている皇帝は、その処方に一味中薬の名前―「黄土」を見て、「あなた、無礼なことするな、黄土も薬になるか」怒鳴りました。
銭乙は胸有成竹(自信満々、胸に成竹がある)「私の判断ですが、太子殿下が腎に病があり、腎は北方の水に属し、中医五行理論に基づき、土尅水ですので、黄土を使うべきです」と答えました。
皇帝は銭乙の一つ一つ筋道立って話す様子を見て、信じようとするところ、傍にいる皇后はまた痙攣している太子を見て、焦りました。「銭乙は京城(国都)に有名な医者で、正しい診断だと思い、信じましょう」と夫に言いました。すると、侍従官が皇帝の同意を得て、灶(かまど)の中から長年焙焼(長年を経過し、焼かれた)黄土を取出し、布で包み、銭乙が処方された方剤に入れ、煎じて、太子に飲ませました。太子がその煎じ薬を飲用した後、痙攣が止まりました。その後、2剤(2日分)を服用後、病が治癒しました。それは皇帝も大喜び、銭乙の医術を信服し、翰林医官から栄誉高い、太医丞(侍医)に昇格させました。
黄土は、長年焚木で焼かれた黄土製かまどの中央部の焼け土で、灶心土・伏竜肝とも言います。性味は辛、微温で、脾・胃経に帰経します、温中止血・止嘔・止瀉の効能があります。
応用:①脾気虚寒、統血不能による吐血・便血・衄血・崩漏。
②中焦虚寒、胃失和降による嘔吐、妊娠悪阻(つわり)。
③脾虚久瀉。