こんにちは、周です。今回は古代医薬広告の話です。
中国古代の医薬広告は古くから、特に宋代には盛んでいます。≪清明上河図≫にこんな光景を描かれています。趙太丞は、治療と薬の販売を兼ね薬店を経営し、店頭には、屋根より高い広告用の看板、4枚を建てられ、その広告板に、各種の中薬剤型―丸・散・膏・丹などの効能作用を記載され、広く流布します。南宋の御医(皇帝の医者)である王継先は、祖先から「黒虎」という秘方を、「黒虎王家」というプラントにして売り出しました。当時の汴京城(首都)に疝気を治療する薬を販売する薬店の主人は、客が呼ぶ為に、名匠に木製の牛の看板を作成し、店頭に置き、すると薬を求める人が増えます。
皇族の病を治した後、「看板」に繋がるエピソードもあります。
南宋の臨安に、厳という痢疾の治療に長ずる医者が居ます。宋孝宗は痢疾を患い、厳が応召し、皇帝の病を治しました。宋孝宗は大喜んで、彼に「防御」という官位を封じ、「金杵臼」(金製の杵臼)も授かります。すると、厳は皇帝から与えられたものを合わさって、「金杵臼厳防御」というプラント品を売り出し後、薬店は商売繁盛となります。
陳という産婦人科医者は、康王趙構の王妃の病を治し、康王から御前羅扇を頂きました。のち、陳の子孫は浙江各地に行き、転家宝物(門外不出)=御前羅扇がバラバラできないので、すると、子孫達は各自門前に、木製の大きい羅扇を立たせて、「大扇陳」という看板を生まれました、その後、「大扇陳」は浙江地区に数百年も続きました。