こんにちは、周です。今回は前回の続き、医家―華侘の話です。
華侘は世界各地に居る中国人(華人・華僑)の中で有名であります。中国人は自分の命を救わられた時、医者に感謝の意を表した言葉が書かれた「錦旗」(錦の旗)を贈る習慣があります、その「錦旗」に書く最も多い言葉は、「妙手回春・華侘再生」です。華侘の名前は「医術高明」の代名詞となっています。
これまでの中医学は、名医を輩出しており、(華侘時代の)前に扁鵲が居て、同時代には張仲景、(華侘時代の)後に孫思邈、李時珍等等、多くの名医が居ました。何故中国人は華侘を「神医」として尊敬しているのでしょうか?それには幾つかの原因が考えられます。
1、料病如神、予知生死
ある妊婦は妊娠6ヵ月で、突然腹痛が出てとっても苦痛です。華侘が診察(脈診)して、こう言いました:「復中の胎児は、もう死んでいました。腹の左に居るので、男の子です」。「打胎」(=堕胎)できる薬を服用させ、予想通り、男の子が出てきました。死胎が下ろされた後、妊婦の腹痛も治りました(華侘時代は、聴診器などの医療機械が一切なかった)。
2、治療神奇、手到病除
李成という軍吏(軍隊に勤めている下級役人)は、咳嗽が酷くて昼間も夜も眠れず、膿血も咯きます。華侘が診察して、李成に言いました:「あなたの病は肺にあるではなく、腸にあります、腸に腸痈という病がありますよ」(中医学は肺・腸が表裏関係であると考えています)。華侘は薬粉(粉薬)を処方し、李成に渡しながら、こう言いました:「この薬を飲めば、大量の膿血を出し後、身体を調養し、1ヵ月間で治ります。だが、18年後にまた軽くの発症がありますので、その時、予め私から渡してある、もう1つ粉薬を飲んでください、そうしないと、大変なことになります」。李成は言われた通り、1つを服用し、病が治り、もう1つは大切に保管しています。その後、5・6年間を経ち、李成の親戚が彼と同じ病を患い、死にそうになっているため、仕方がなく、李成がその大事に取っている薬を親戚に飲ませました、親戚は救われたが、13年後、李成の病が再発して、死にました。
3、外科神奇、開刀剖腹
2011年1月24日のブログ ご参照下さい。
4、医学流派、器重神奇
古代中医学では、華侘・扁鵲は同流派であり、病を診断・治療法は伝奇的なものが多く、しかも望診(顔・体型・表情などを見る)だけで生死の予知ができ、それは世の中の人から一番刮目される所です。張仲景は価値ある≪傷寒論≫・≪金匱要略≫という医書が後世に残してあります。
当校では、古典講座≪黄帝内経≫・≪傷寒論≫を引き続き、今年4月からは≪金匱要略≫(金先生担当)・≪温病学≫(韓先生担当)を開講する予定していますので、是非、このチャンスをお見逃しなく、奮ってご参加下さい。詳しくは
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