こんにちは、周です。岐伯の話です。
岐伯は伝説上の上古の有名な医家です。出身地は岐山(陝西省岐山)だとされていましたが、最近の研究では、甘粛省慶陽だとされます。清の乾隆≪慶陽県志・人物≫には、「岐伯、北地人、生而精明、精医術脈理、黄帝以師事之、著≪内経≫行於世、為医書之祖」と記されています。彼は小さいから物を思考し、聡明な子で、大きな夢を持って、自然界の物事や現象を観察するのが好きです。当時の民衆が疾病で亡くなったことを見て、医師になると決意しました。のちに、黄帝の太医(侍医)となり、黄帝からは天師との尊称を授かりました。
黄帝が岐伯に質問し、岐伯がこれに答える形式によって≪黄帝内経≫が著わされました。その≪黄帝内経≫は「岐伯」を記した最初の文献であります。「岐黄之術」とは、後世の人々によって、中医学そのものを意味するようになりました。黄帝・岐伯は、まさしく中医学の始祖であります。人々は岐伯を讃える為に、「岐伯廟」を建てました。同じく≪慶陽県志・*(=土に云)廟≫にも、「岐伯廟、在県城南」とあります。
史志の目録に岐伯を用いる著作が約八種類にもあります:≪漢書・芸文志≫の≪黄帝岐伯按摩≫10巻、≪隋書・経籍志≫の≪岐伯経≫10巻、≪新唐書・芸文志≫の≪岐伯灸経≫1巻、≪宋史・芸文志≫の≪岐伯針経≫1巻、≪通志・芸文略≫の≪黄帝岐伯針論≫2巻・≪岐伯精蔵論≫1巻、≪崇文総目≫の≪黄帝岐伯針灸要訣≫1巻、≪竹堂書目≫の≪岐伯五蔵論≫。これらの著作は、主に鍼灸・按摩・臓象を論じます、目録のみが残り、書名から見ますと、岐伯と関わるとの事実が確かであります、だが、著者は岐伯であるかどうかは分りません。それは、古代「世俗人多尊古而賎今、故為道者、必托之於神農・黄帝而後能入説」(≪淮南子・修務訓≫より)からです、例えば、≪黄帝内経≫・≪神農本草経≫等、黄帝や神農の名を用いて命名した医書。岐伯を用いる医書は、その風習の影響を受けたかもしれません。