こんにちは、周です。
現今、水・酒・淡(薄い)塩水・蜂蜜水・米湯(米を炊いたときに取り出した汁)・紅糖(黒砂糖)・葱白湯・生姜湯などを薬引として中薬・中成薬(調合した漢方薬)を服用します。薬引子は引薬帰経、増強療効(薬効を高める)という効果がある同時に、薬の調和・顧護・制約・矯味作用があります、中薬・中成薬と配合して、相得益彰(互いに補完し合うことによって効果が一層よくなる)の効果が得られます。
薬引子の由来は朱元璋と関わると言われています。
明朝洪武年代、浙江蕭山に楼英という郎中が居ました。彼は医薬世家の出身で、小さい(7歳)頃から父親に師事して、20歳で一人前の医者となって開業します。楼英は医術高明で、起死回生の術を持っていると言われ、彼の名は蕭山地方で知られ、「神仙太公」と称されます。
馬皇后は重病に患い、御医の診察を受け、人参・霊芝など貴重な中薬を処方され服用しましたが、効果はありませんでした。皇帝朱元璋は天下の名医を探し始め、楼英を宮中へ呼びました。楼英は馬皇后を診察し、脾胃不和・痰濁積滞と診断して、大黄・萊服子という、極普通の中薬で治せる病気だと思いました。しかし、有る1つ事を凄く悩みましたー皇后様にあまり安い薬を使うこと。筆を持ち手がなかなか…処方箋に書けませんでした。その時、朱元璋が馬皇后のお見舞いに来られ、突然現れました、楼英が慌てて地面に跪いて、皇帝をちらっと盗み見ました。あぁ、あった!―皇袍の上にキラキラしている
玉珮(玉の装身具)を用いれば良いです。彼は再び筆を手にして、処方箋にこう書きました:「萊服子3銭、皇上随身玉珮作薬引」。馬皇后は、その処方された煎じ薬を飲んだ後、お腹がコロコロして排便しました。翌日、さっぱりとしたものを食べ、2・3日後で完治しました。
朱元璋が大喜び、楼英を太医院の御医として働くようにお願いしました。楼英は、その絶好なチャンスを見逃さず、太医院に保存されている皇家珍蔵の薬典を読み、医術も進展しました。