四 『黄帝内経』の学術体系
『黄帝内経』では、先人の豊富な医療経験と知識をまとめ、理論まで昇華させ、系統的な医学理論を形成させたもので、さらに医療実践に制御し、中国の伝統科学の中、生命の規律を探り及び医学応用する一つ学問となった。それが、『内経』の学術体系と言う。
『内経』の学術体系の形成は、医療実践の観察及び検証を基にして、古代の自然科学と社会科学の知識を浸透したもので、その中の哲学では、総合整理と理論の昇華作用を発揮された。『内経』の学術体系は中医学の基本概念を確立し、理論と臨床規範を築き上げ、独特な医学方法を形成したものであると言い過ぎない。
まずは、医療実践。古人は長い日常生活の中、ヒトの生命現象を観察し、蓄積した豊富な生理活動及び疾病現象が、学術体系を築き上げる基礎と素材となった。そして、繰り返し臨床の検証も行っていた。
次は、古代科学の浸透。古代の伝統的自然科学の原理と方法は中医学術体系形成の手本と啓発となっていた。天分暦法、地理学、気象学などはその代表である。例えば、『周易』の意象思惟は「物を審察、別異比類、慧然独悟」三段階あるが、『内経』の中では、主に「取象比類、運数比類」二つの方面が運用された。
また、古代の哲学思想の影響も受けた。春秋戦国時代は「諸子蜂起、百家争鳴」の時代で、唯物主義哲学は道家、儒家、墨家、法家、陰陽家、名家、兵家など大勢の学派に発展し、中国の歴史上に学術思想が最も活躍した時代であり、これらの思想は医学理論の形成にも土台となっていた。例えば、陰陽家の思想にある「先兆徴候を重視する」と「四時規律を順応する」という二つ重要な特徴が中医学理論に取り入れてある。
(李)