こんにちは、周です。今回はカルテについての話です。
カルテは中国語で病歴(病历 bingli)と言います。カルテは患者の詳しい資料を記載していて、医療機関で重要なものです。今回は、中国医学史上では、最初にカルテを書いた時期と人を紹介します。
漢文帝時期(BC215~150年)の淳于意は山東省臨菑の人で、若い時、齊国の太倉長(食糧倉庫を管理する官職)に任じられた為、「太倉公」・「倉公」と称されました。彼は裕福な家庭で生まれではなく、多くの親類が病気を患って亡くなりました。その現状を見て、幼い頃から医学を志し、貧乏な病人達を救う為に、医学を自習し、若くて公孫光(当時の名医)に師事しました。師の家伝をことごとく修得した後は、前漢の名医となりました。淳于意は、疾病を診療する際、それぞれの患者の氏名・職業・住所・疾患名・症状・脈象・弁証・治療状況、特に病歴や治療経過を記録に留めることに、意を用いました。
司馬遷の著わした≪史記≫にも、「扁鵲倉公列伝」として、その伝記が掲載されています。
当時、この医療記録は「診籍」と呼ばれ、「扁鵲倉公列伝」には、淳于意が作成した「診籍」25例(15例は治癒に至った症例で、10例は病死した症例である)が記されています。「診籍」に記録されている疾患の種類は、外科・婦人科・小児科・内科・口腔科などの各科にわたり、その精密な記録によって、淳于意の診療する実態を如実に読み取ることができます。
この「診籍」は、当時の信頼性が高い医療記録であるだけではなく、中国に現存する最古(最初)の、整備された「カルテ」と言え、世界医学史上も、稀に見る貴重な歴史資料でもあります。