こんにちは、周です。今回は金元四大家の紹介ですーその1。
劉完素――火熱論
劉完素(1110~1200年)は、字を守真、別号を守真子といい、通元処士を号しました。金代の河間(河北河間県)人であり、その出身から、後世は彼を劉河間・劉先生と呼びました。劉完素幼少より、医書に親しみ、25歳から「内経」を研究し、終日手から書物を離すことがありませんでした。母親の病を延治されたことにより死去したから、遂に医者になるのを決意しました。
陳先生(陳師夷?)に師事した後、独立して行医(民間で医療活動を行う)、徐々に有名となりました。彼は「内経」病機19条と傷寒熱火熱病の病機理論結び付け、火熱病証について詳細な研究を加え、「火熱病」という学説主張しました、主寒涼攻邪(寒涼薬を用いて火邪を攻める)を唱え、防風通聖散や双解散などを上手に・盛んに使い、治療に当たりました、後世は彼を「寒涼派」と呼ぶようになりました。
劉完素の医術は優れていて、特に熱病の治療に長けていたと言われます。彼は当時の皇帝(金章宗)から、三度にわたる招請を断り、民間で行医したことから、「高尚先生」という名を賜われました。彼が創った学術理論の流布することにより、多くの人々(例:葛雍、穆子昭、馬宗素、鎦洪、常徳、董系、劉栄甫、張縦正、程輝、劉吉甫、潘田坡)が劉完素に師事しました。金の時代に、重要な学術流派―「河間学派」を形成しました。
劉完素の著書も多いです。主に以下の著書があります。
≪黄帝素問宣明論方≫(1172年)15巻
≪素問玄机病式≫(1186年)
≪内経運気要旨論≫ 謂わば ≪素問要旨論≫
≪傷寒直格≫(1186年)3巻
≪傷寒標本心法類萃≫2巻
≪三消論≫ ≪附<儒門事親>≫
≪素問薬注≫(已佚)
≪医方精要≫(已佚)
後世の人々は、劉完素の主な著書を、「河間六書」「河間十書」に纏め、金元の他の医家著作に編集しました。