こんにちは、周です。今回は金元四大家の紹介ですーその3。
李東垣――脾胃論
李東垣(1180~1251年)は、名を杲、字を明之と言い、晩年は東垣老人を号しました。金代の真定(河北保定市)人であります。「人以胃気爲本」(脾胃は元気な源)を唱えました。温補脾胃の治法をよく用いたため、後世より「補土派」(脾胃は五行では土に当る)と称されています。
富豪の家に生まれ、幼時より医学が好きで、財産をなげうって、張元素に師事し、医学の修得に励んだ結果、数年後にして、師匠の教えを学び尽くし、更に自分で研鑽を重ねました。内科・外科に精通し、五官科(五官=鼻・目・口唇・舌・耳)・針灸科にも長けていました。
彼が中医学に卓越な貢献したのは、自らの臨床経験を通じて、「補土派」理論を創りだし・完全なものとしたのであります。主な著書は、≪脾胃論≫3巻、≪内外傷弁惑論≫3巻(1231年)、≪蘭室秘蔵≫3巻(1276年)があります。脾胃生理機能、内傷病の致病・発病機理(メカニズム)、鑑別診断、治療方薬が、これらの本の中で詳細に論述します。
李氏は、「脾胃是元気之本、元気是健康之本」(脾胃は元気の本、元気は健康の本=源)であると考えました。「脾胃傷、則元気衰、元気衰、則疾病所由生」(脾胃傷付ければ、元気衰え、疾病生ずる)という内傷学説の基本論点から、「甘温除大熱」法(甘温剤で脾胃を補益し、陽気を昇らせて、火=熱を瀉す)を創製しました。
李東垣の学術思想は、≪内経≫理論に基づいて発展したものであり、臨床実践を通じ、内傷病の致病・発病機理を詳しく論述し、脾胃病治療の斬新な方法を打ち立てました。「脾胃論」は、後世における中医学の発展に、非常に大きな影響を及ぼしています。