こんにちは、周です。今回は中国最初の「煙草と疾病」についての記載の話です。
煙草は、原産地はアメリカ州で、17世紀以来中国に入りました。入りルートは南と北・2つがあります。南ルートは、フィリピンから福建省・広東省に入り、北ルートは、日本から朝鮮を経て中国東北部に入ります。
最初に煙草の種子を中国に持って帰ったのは、福建水手(福建省出身の船員)でした。転入ルートについての最初記載は、明代末の明医である張介賓が書いた≪景岳全書≫巻48の中にあります:煙草自古未聞。近自我万暦時出於○(=門に虫、福建省)広之間。自后、呉・楚(江蘇省・浙江省)間地土皆種植之矣。また、煙草は害があることも論述します:煙、味辛、気温、性微熱、升陽也、焼煙吸之、大能酔人、用時唯吸一口或二口、多吸令人酔倒。これらの記載から見ると、古人は17世紀初に、煙草は身体に害があるとの認識がありました。
煙草の害については、皆ご存知だと思いますが、ここで清代医家・趙学敏(1719~1805年、浙江省杭州出身)が見た医案を紹介します。この症例は、喫煙による肺に害(慢性気管支炎を引き起こし)、禁煙後に治癒しました。趙学敏が著した≪本草綱目拾遺≫に、こう記載しています:友人張寿庄、己酉与予同館臨安、毎晨起、見咳吐濃痰遍地、年余迄未癒、以爲痰火老疾、非薬石所能療。一日不食煙、如是一月、晨亦不咳、終日亦無痰唾、精神碩健、且飲食倍増、啖飯如湯沃雪、食飽後少傾即易餓、予乃悟向之痰咳、悉煙之害也、耗肺損血、世多陰受其禍而不覚、因筆於此、以告知医者。
(訳:友人の張寿庄は、毎朝起きると、大量の痰を咯く、年余り続いている、痰火老疾という原因と思ったが、薬を飲んでも効かない。禁煙1ゕ月後で治った。煙草の害と悟った。煙の害は、耗肺損血である)
200年前も趙学敏が、医家と民衆に煙草の害の注意を喚起しました。喫煙は、「耗肺損血、世多陰受其禍而不覚」と指摘しました。この症例は、医学史上に価値ある資料であり、禁煙を提唱している今にも、一定の現実意義があるでしょう。