こんにちは、周です。今回は人彘(zhi 4声)・人を豚にした話を紹介します。
漢王朝を開いた劉邦(高祖)は、第一夫人の呂氏(呂后)のほかに数人の愛姫(戚夫人はその一人である)が居ました。呂后が生んだ息子・盈(恵帝)は、劉邦の死後帝位に就きましたが、すんなりと即位したわけではありませんでした。劉邦は、一時期戚夫人の息子・如意を太子にしようと、本気で考えたことがありました。
呂氏は、劉邦が微賤の時に妻となり、32歳に盈を産みました。6歳の盈を太子になった年は、劉邦が在位2年目でした。その後、劉邦に寵愛された戚夫人が如意を産みました。盈との年の差は3歳であります。如意が10歳の時、趙王に封じられました。この頃から劉邦は、太子を盈から如意に変えようとしています。
呂氏は、毎日戦戦兢兢(びくびくする)として過ごしました。太子が更迭されれば、愛姫戚夫人の天下だ、目障りな自分は何れ殺されると思いました。しかし、劉邦の太子を更迭する希望は、影響力がある何人かの重臣の反対で妨げられ、実現することができなかったです。
62歳で劉邦が死にました。17歳の盈が即位し、恵帝を号し、呂氏は皇太后となりました。田舎育ちで教養もなく、気が強い呂氏は、戚夫人への復讐を始めました。かつての嫉妬が剥き出しに表れました。如意を毒殺しても、満足しなかったです。次に戚夫人を人彘(人豚)にしたのです。
戚夫人の手足を切断し、眼に筒を当てて眼球をえぐり出し、耳に薬を入れて焼いて、聞こえなくさせ、薬を飲ませて咽喉を潰して、声を出なくさせ、「人彘」と名付けて糞坑(便所)に閉じ込めました。長安の冬は寒いです。こんなにまでされた戚夫人は、奇跡に生きていたのです。
数か月を経過してから、呂氏は恵帝を呼んで、この人彘を見せました。恵帝は、初めてはこの生き物が何のものか分からなかったようです。質問して、初めてこれが戚夫人の変わり果てた姿であることを知りました。母親の凄まじい(残虐)行為にショック!そのまま病気になってしまい、朝政もできなくなり、毎日のように酒色(酒と女)に溺れ、7年で死にました。
恵帝が死んだ後、事実上は呂氏が皇帝になりました。高祖の皇后として高后と呼ばれました。ある日、犬のようなものにわきを噛まれ、その傷の原因で(63歳)死にましたが、高后本人は戚夫人母子にした仕打ちのたたりを信じたかもしれません。