こんにちは、周です。今回は成語――「四面楚歌」(si mian chu ge )を紹介します。
まわりが敵や反対者ばかりで、味方のないこと、「孤立無援」の状態を「四面楚歌」と言います。「四面」は、東西南北でも・前後左右でも、まわりのどこを見てもという意味で、「楚歌」は、文字通り「楚の国の歌」であります。敵に囲まれて孤立していることを意味します。楚の項羽が、漢の軍に囲まれ時、漢の軍がまわりで楚の国の歌を歌ったので、楚の人民が漢に降ったのか、と驚いたという故事からです。
話は紀元前3世紀に遡ります。秦が滅び、中国は又乱世を迎えていました。沢山の英雄が現れては消え、2人だけが残され、天下を賭けて対決することとなりました。一人は漢の劉邦、もう一人は楚の項羽であります。
項羽は垓下というところに陣をしていました。彼は自信を持っていました。戦闘をすれば、大抵は楚が勝っていたのです。漢の劉邦をバカ(軽視)にしていました。今回の戦闘は、不思議なことに、いくら遣っ付けても、なかなか漢は屈服しません。実際の情勢は、今まで態度を決めていなかった各地の英雄達が、次々に漢の側に付くことを決めました。しかし、項羽は何も知りません。彼は天下一の勇将でしたが、わがままな自信家でした、人が自分から離れて行くのに気付かない不幸な男でした。
夜になりました。項羽は寝床に入りましたが、漢軍が四面(あちらこちら)、皆楚の歌を歌っているのを聞き、項羽は驚愕して言いました:「漢は、すでに楚の全土を制圧したのだろうか。なんと楚人の多いことか。」
敵に囲まれただけなら、まだいいです。漢の陣地から漢の歌が聞こえるなら、たとえ百万の敵でも、恐れはしません。だが、敵である漢の陣地から、楚の歌が聞こえます。歌っているのは、楚の人です。本来、味方であるべき楚の人が、敵側に付いているのです。
これを気付いた時、項羽は初めて負けを認めました。
《史記》に垓下の戦いは、こう記しています。
項王軍壁垓下。兵少食尽。漢軍及諸侯兵囲之数重。夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」項王則夜起飲帳中。有美人、名虞。常幸従。駿馬、名騅。常騎之。於是項王乃悲歌忼慨、自為詩曰、
力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
歌数闋、美人和之。項王泣数行下。左右皆泣、莫能仰視。