こんにちは、周です。今回は白眉(馬良)を紹介します。
白眉とは、白い眉のことを指します。多くの中で一番優れたものを白眉というのは『三国志』の故事に因みます。
中国には、色に因んだ故事や格言が多く、中には日本でも用いられているものがあります。例えば、北宋の政治家・詩人王安石(1021~1086年)の詩(咏石榴花)に、「濃緑万枝紅一点、動人春色不須多」という表現があります。現在では、多くの男性の中で女性一人だけが混じって活躍することを指して、紅一点と言います。
紅一点と同じく、現代でも頻繁に用いられる色に因んだ故事に白眉があります。この白眉は、前回紹介した馬謖の兄で、諸葛亮の心腹(腹心)であった馬良という武将に因んだ故事であります。
襄陽郡宜城県の名門・馬一族には、五人の兄弟があり、兄弟五人とも大変優秀でありました。五人の中で最も優れたと言われたのは馬良でした、馬良は眉が白かったです。このことから、後世、多くの中で一番優れたものを白眉というようになりました。
荊州を奪取した劉備は、馬良を招いて留守を任せ重職に任命しました。馬良は劉備の命令で呉に使者として赴いた時、孫権を感服させたという逸話も残りました。武将としての馬良は、周辺の少数民族(五渓)の討伐に軍功を挙げましたが、章武二年(222年)の夷陵の戦いの際、落命しました。
生前、馬良は諸葛亮と個人的な親交があったらしいです。劉備が関羽・張飛と義兄弟の盟約を結んだように馬良と諸葛亮も同様の盟約を結んだかもしれません。また、『三国志演義』に、腕に毒矢を受けた関羽が、囲碁をやりながら名医の華佗(後漢末;109?-207?)の治療を受ける場面があります。このようなことが、実際にあるかどうか疑問が残るが、囲碁の相手として登場する馬良であります。中国も日本も、この場面は盛んに絵描かれたが、関羽の囲碁の相手の眉を、白く描いた作品もあります。
馬良の死後、諸葛亮は馬良の弟を重用するという誤りを犯し、前回紹介した「孔明揮涙斬馬謖」(2015年2月16日ブログ記事をご参照ください)がありました。