こんにちは、周です。今回は「親賢臣、遠小人」(賢臣に親しみ、小人を遠ざける)を紹介します。
出典は『蜀書・諸葛亮伝』です。
賢臣は賢明・実直な家臣、小人とは大人の反対語ではなく器量の小さい人・悪党を言います。諸葛孔明が蜀の後主(二代皇帝)・劉禅(阿斗、劉備の子)に対して出師表(諌言)の中にあるフレーズであります。
孔明は、前漢王朝が興隆した理由として、初期の皇帝が「親賢臣、遠小人」を徹底したことと、後漢王朝が滅亡した理由として、桓帝や霊帝が「遠賢臣、親小人」(小人に親しみ、賢臣を遠ざける)をあげ、劉禅に自戒を促したのであります。孔明はさらに賢臣として暗に名をあげたのは、侍中の郭攸之・尚書の陳震・長史の張裔・参軍の蒋琬らといった者たちでありました(侍中・尚書・長史・参軍は官職名である)。
但し、「忠言逆耳」(忠言耳に逆らう)という諺がありますが、暗愚な劉禅は孔明の奏請に沿って蒋琬を大将軍に任命して、国政の全権を他人に委ねたものの、自身が国政に関与しなくなりました。その後、賢臣たちが相次いで亡くなり、劉禅は酒色(酒と女)に溺れ、孔明の諌言を無視し、宦官の黄皓を近づけて蜀の滅亡を速めてしまいました。
出師表にこう記載しています:
親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也。遠賢臣、親小人、此後漢所以傾頽也。後諸葛亮逝。後主以亮之遺命任用蒋琬爲大将軍、総理国事。後蒋琬歿。後主遂寵信宦官黄皓、沈溺於酒色、黄皓得以干預朝政、操弄権柄。司馬昭起兵伐之、終滅蜀国。