こんにちは、周です。今回は鶏肋を紹介します。
鶏肋とは鶏ガラを指します。周知の通りスープなどの材料で、長時間煮ると美味しいダシをとることができます。中国料理やラーメンに欠かせない材料の一つであります。昔はしゃぶって食べる事もありました。しかし、肉は僅かしかついていないので、満腹できないから「食之無所得、棄之可惜」(大して役に立たないが、捨てるには惜しいもの)を指して「鶏肋」というようになりました。
初出は『三国志・魏志・武帝紀』に記録がある曹操の言葉であります。建安24(219)年に始まって曹操が生涯のライバルである劉備と漢中の領有地をめぐって対陣しました。定軍山の戦いで蜀の老将軍・黄忠が、魏の屈指の勇将・夏候淵を破ってから局面が大きく展開しました。曹操は自ら大軍を率い出陣しました。しかし、魏は蜀に敗れ、曹操も危険な目に遭いました。曹操は内心、収兵(兵を収める)して帰ろうとしたが、蜀軍の笑いものになることを恐れて決断できずにいました。
そんな時、曹操は夕食の最中も鶏湯を食べながら、進退を思考していました。そこへ夜の口令(伝達事項の際に使う暗号や言葉)を聞きに夏侯惇(夏候淵の一族)が入ってきます。曹操は夏侯惇を前にしても、碗の中の鶏ガラを見ながら「鶏肋、鶏肋……」とつぶやきます。「言語明瞭、意味不明」のまま、夏侯惇が全軍に「鶏肋」と伝達しますと、曹操の側近の一人・主簿(文官)の楊修は少しも慌てず撤退の準備を始めます。驚いた夏侯惇が理由を問うと、「漢中はまさに鶏肋のようなものだ、惜しいが撤退するつもりだろう」と解釈します。夏侯惇は「公はまことに魏王の肺腑を知るなり」と感心して部下も撤退準備を始めさせます。心煩意乱(こころがもだえ乱れる)の曹操は眠れず軍帳(行軍の時に泊まるところ)を出て軍営(外)を巡回します、全軍が撤退準備をしていることに大いに驚き、夏侯惇を問うと楊修が鶏肋に対する定義を判りました。楊修に対して「お前はどうして流言を広めて擾乱軍心(軍心を乱す)のか」と激怒し、楊修を処刑させました。
楊修は才能がある人です。惜しいですが、忌才(自分以上の才能がある人を嫌う)の曹操が言った鶏肋で落命しました。