こんにちは、周です。今回は「子治世之能臣、乱世之姦雄」(あなたは治世の能臣、乱世の姦雄)を紹介します。
『魏志・武帝紀』にあり、曹操に対しての文人・許劭の言葉であります。子とはあなた、能臣とは才能ある臣、姦雄とは悪知恵に長けた英雄を指します。許劭は曹操を「乱世姦雄」と評した第一人であります。
許劭(生没年不詳)は字を子将といい、東漢末年の文人で、汝南郡平与(今の河南)の人で、人物評を得意としました。《辞海》に彼に対しての評価は「有名於世、喜評論人物」であります。史書には「少峻好名、好人倫」と称賛します。その人柄は人々に敬愛されていました。
当時の汝南郡の文人は、毎月の月初め(月旦)に行う人物評の会は有名でありました。のちに、人物評のことを「月旦」というのは、許劭が月初めに開いた人物評の会にちなみます。許劭が率いた「月旦」人物評は公正性・正確性を有するので、官府(政府機関)も人物評を見て官職を与えます(適才適用)。諸国の領主は許劭の好評を博した人物を争うようになっていました。「月旦」が有名なのを聞いた青年の曹操も許劭のところへ行き、自分の人物評を乞いました。しかし、許劭は口を開こうとしません。許劭は曹操の顔を一目見て「この男は、ただの人物ではない」と思いました。
曹操の再三問いと威嚇に、許劭はようやく重い口を開き、「子治世之能臣、乱世之姦雄」(君は平和な時なら才能ある官吏で、乱世には姦雄になるでしょう)と評しました。「乱世の姦雄」と評された曹操が大笑いながらその場を去りました。
曹操が「乱世の姦雄」をどう理解したのは、後世は知りません。