こんにちは、周です。今回は温病学説を紹介します。
清代には温病と総称される急性伝染病が明代に引き続き猛威を振い、正確な統計は残されていませんが、初清(1644年)から同治11年(1860年)までの214年間に84回を超える疾病が発生・蔓延したことが知られています。その中には傷寒(腸チフス)・霍乱(コレラ)・痢疾(赤痢)・マラリア・天花(天然痘)・猩紅熱・麻疹・白喉(ジフテリア)という伝染病が含まれていました。特に江南地域(長江下流以南)の気候は温暖湿潤で、人の往来も激しく人口稠密のため、最も頻繁に温病が流行しました。温病の流行を如何に抑え、発病した際に如何に治療するかが、医家達の課題となりました。
このような背景に、温病を研究した歴代が居ました。明・清代の呉有性・喩嘉言・戴天章・楊栗山・劉松峰・余師愚らは温病に対する病機、弁証の要点、有効な方剤について論述しました。清代に至って新たな一つの温病学学派を誕生しました。この温病学学派を代表するのは葉天士・薛雪・呉鞠通の医家です。葉天士は「温熱論」を著わし、温病の発生・進行パターンを明示するとともに、温病が衛気営血を侵入する4段階で弁証論治を提唱し、温病学説の理論体系を形成する重要な基礎となりました。薛雪の「湿熱条弁」・呉鞠通「温病条弁」は温病に対する三焦弁証を展開し、葉天士の学説を発展させました。このことによって「衛気営血」と「三焦」による弁証論治の体系が確立され、温病学説は大きな成熟期を迎えることになります。
中医学に温病学説の貢献は、以下の4つです。
1、熱性病に対する認識と治法が新たに創り出され、しかも温病学説は、その理論から弁証・用薬に至るまで経典と仰がれている「傷寒論」と同一でないことを世に示しました。
2、傑出な医家(温病学者)を輩出させました。
3、温病の治療に新たな治療法が持たされることによって、人の生命と健康を守る大きな後ろ盾となっていました。
4、温病学説は温病以外の学科疾患の治療に刺激を与え、新しい治療法を提供することとなりました。例えば、外科の疔瘡走黄(ちょうそうそうこう、病証名。疔毒が血分までに入り、危篤な状態である)の治療に応用されます。
以上から見ると、今中南米を中心にジカウイルス危惧されているジカ熱は、温病学説を用いて治療法が見付かるかもしれないと思います。