素問・至真要大論篇第七十四(選び出す)⑦
【原文】帝曰:幽明何如?岐伯曰:兩陰交尽故曰幽、兩陽合明故曰明、幽明之配、寒暑之異也①。帝曰:分至何如?岐伯曰:気至之謂至、気分之謂分、至則気同、分則気異、所謂天地之正紀也②。
帝曰:夫子言春秋気始于前、冬夏気始于後、余已知之矣。然六気往復、主歳不常也、其補瀉奈何③?岐伯曰:上下所主、隨其攸利、正其味、則其要也、左右同法④。『大要』曰:少陽之主、先甘後咸;陽明之主、先辛後酸;太陽之主、先咸後苦;厥陰之主、先酸後辛;少陰之主、先甘後咸;太陰之主、先苦後甘。佐以所利、資以所生、是謂得気⑤。
【注釈】①兩陰交尽故曰幽、兩陽合明故曰明、幽明之配、寒暑之異也:太陰と少陰が交わし尽きる時を「幽」と言い、太陽と陽明の合う時を「明」と言う。幽と明を陰陽に合わせて、寒と暑の分かれになる。
つまり、幽は陰の極りで明は陽の極りである。「寒往則暑来、暑往則寒来」、四時の往来を総じて陰陽寒暑に分けることである。
②至則気同、分則気異、所謂天地之正紀也:至(夏至と冬至を指す)の気は同じ、分(春分と秋分を指す)の気は異なる、(この二至と二分は)いわゆる、天地の正常な気化紀時の綱領である。
「至」とは極まりの意味があり、夏至(陽)と冬至(陰)の気候はそれぞれの季節(夏季と冬季)と同じ気であるから、「至則気同」という。春分の気候は寒から温に転じ、陰から陽に変わる;秋分の気候は熱から涼に転じ、陽から陰に変わるから「分則気異」という。
③夫子言春秋気始于前、冬夏気始于後、余已知之矣。然六気往復、主歳不常也、其補瀉奈何:先生は、春秋の気が前に始まり、冬夏の気が後で始まることは、私は知っている。然し、六気の往復運動や、主歳の時は固定してないから、その補瀉はどうなる?
④上下所主、隨其攸利、正其味、則其要也、左右同法:司天と在泉の気が主る時間によって、その適宜に従い、薬味の正確に選択することは治療の法則である。左右の気の治法も同じです。「上下」は司天と在泉の気を指す。「攸利」は適宜という意味である。
⑤『大要』曰:少陽之主、先甘後咸;陽明之主、先辛後酸;太陽之主、先咸後苦;厥陰之主、先酸後辛;少陰之主、先甘後咸;太陰之主、先苦後甘。佐以所利、資以所生、是謂得気:『大要』は曰く:少陽の主歳に、先に甘で瀉し、その後咸で補す;陽明の主歳に、先に辛で瀉し、その後酸で補す;太陽の主歳に、先に咸で瀉し、その後苦で補す;厥陰の主歳に、先に酸で瀉し、その後辛で補す;少陰の主歳に、先に甘で瀉し、その後咸で補す;太陰の主歳に、先に苦で瀉し、その後甘で補す。適宜な薬物を補佐し、その生化の源を助けることは、「得気」(六気による致病を治療する規則を把握できた)と言える。
【説明】本節は主に六気の補瀉原則と方法を説明している(注釈の④⑤)。六気の盛衰が人体を影響し、五臓に発病させる。本節が説明している六気の補瀉原則と方法は、五臓に発生するほかの病気の治療にも適宜する。例えば、厥陰の主では、風木が時令の気を主る。風気は中に肝気に通じるから、故に気が有余(余る)。この場合は酸味を用いて収斂させ、(勝気の)肝気を瀉する。気不足の場合は、肝の昇発が不及になるので、辛味を用いて肝気の生発を補助する。
(李)