一、心と小腸
こんにちは。今回からは、数回に分けて心と小腸の話を致します。
心は神明の宿るところで、血の主で、脉の元であります。五行の火に属し、生命活動を主宰しています。
心の生理機能
(1)血脈を主る:血液を脈管(血管)の中にスムーズに運行させ、全身に営養を与えさせること【主血】と血液の通路(脈管)を通利させること【主脈】の二つの面があります。心臓と脈管がつながって、密閉した系統ができ、血液循環の中枢となります。心臓は絶えず拍動し、血液を全身に推し進め、血液循環の動力となります。心の気(心気、しんき)が充実し、血液が充満し、脉管が流暢することは血液循環の前提条件です。
(2)神志を主る:「神明を主る」、「心蔵神」という言い方もあります。
「神」の意味:中医学では広義の「神」と狭儀の「神」があり、広義の「神」とは人体生命活動の外的現れです。例えば人体の外見、顔色、目付き、言語、応答、四肢の動き、姿勢などは全部神の範囲に属します。狭儀の「神」とは心が主宰する「神志」で、人の精神、意識、思惟活動です。人の精神、意識、思惟活動は人の各生理機能の協調平衡に影響するので、人の生命活動を主宰すると言われます。《霊枢・邪客》に「心なるものは、五臓六腑の大主になる。精神の宿になる。」といっています。
現代の認識では、人の精神、意識、思惟活動は、大脳の生理機能に属します。大脳が外界の事物を反映することは、中医学の文献には古くから明確な記述がありますが、臓象学説では人の精神、意識、思惟活動を主に心の生理機能に帰属させました。
心の五志、五液、在体と在竅の関係
(1)喜は心の志である:喜・怒・憂・思・恐は五志と呼ばれ、これらは五臓に属します。即ち、心志は喜、肝志は怒、脾志は思、肺志は憂、腎志は恐です。「心志は喜」とは、心の生理機能が精神情緒の「喜」と関係していると言う事です。「喜」は一般的に外界に対する良性の反応で、心の生理機能に良い影響を与えますが、喜び過ぎると、心の神を傷つけることになります。
(2)汗は心の液である:汗とは、体内にある津液が身体の陽気によって蒸発気化し、玄府(毛穴)から出てきた液体です。『素問・陰陽別論』には「陽気が陰液を蒸騰して、汗となる」と書かれています。汗は津液からなり、血と津液は同じ源から来ているので、「汗血同源」という言い方もあります。血は心が支配しているので「汗は心の液」とも言われます。
(3)脈は心の在体である:在体(ざいたい)とは、臓がこれを経由して体に繋がるところです。心の在体は脈です(「心合脈」とも言います)。全身の脉管はみんな心に属している事を意味します。
(4)面は心の華である:華とは輝かしい意味です。心華在面とは心の機能が正常か否かが、顔面の顔色に現れる事を言っています。顔面には血管がたくさん分布しており、全身の気血は上の顔面に上ってくるので、顔色で心血の盛衰、多少を知ることができます。
(5)心は舌に開竅する:心は舌に開竅するというのは、つまり舌が心の外的器官であることです。「舌は心の苗と成す」。舌は味覚を司りますが、発音の重要な器官でもあります。「心気舌に通じ、心が正常なら五味を認識出来る」(『霊枢・脉度』)といわれます。心の生理機能が異常になれば、味覚と発音も異常になります。