こんにちは、周です。今回は「薬罐」(土瓶、薬を煎じる道具)の話を致します。
昔の中国では、中薬を煎じる薬罐がありませんでした。皆は薬店で買ってきた中薬を直接そのまま口に入れて噛んで飲み込めました。その服用方法は、衛生上もよくありませんし、あまりにも食べ難いし、しかも副作用もあるというのでした。陶器を使用開始の時代につれて、煎じるという方法に変え、湯液を服用するようになりました。《史記》によりますと、はじめに湯液を創ったのは、約3000年前の商湯時代の宰相(中国古代の官名)、伊尹という人です。
あれから、陶器業の発展により、色色な薬罐、薬鍋、薬壺などの薬を煎じる道具が出回りましたが、地方や習慣の違いで、道具の名前(呼び方)や使用法はやや違います。北のほうは薬鍋、南の方は薬罐と呼びますが、粤東・台湾は「急銷」と呼びます。なぜ、急銷と呼ぶのでしょうか、そのエビソードを紹介します。
宋の仁宗景佑の年代、粤東・台湾一帯に瘟疫を流行し、多くの民衆がなくなり、悲惨でした。呉本という名医が居て、多くの患者を救い、「医霊真人」と崇められました。ところで、当時は患者が多くて、薬を煎じる道具も雑で、質もよくありませんので、薬効に影響を与えました。呉本はその状況を改善しようと思い、急いて粤東地区に行き、薬を煎じる道具のメーカーを選び、模型などを研究して、統一な規格、良質、低価格の道具を急用のため作られました。しかし、民衆が「聞薬色変」(薬を聞くと、恐ろしい)で、「薬罐」という言葉を避けたいので、推銷(薬罐を販売する)商人は、急用の急を取って、「急銷」を名づけられました。