こんにちは、周です。今回は針灸歴史の話を致します。
遅くなりましたが、本題に入る前に、夏季講習会の感想を紹介させて頂きます。
夏季講座は、とても面白かったです。扶陽派のこと、内径のことに触れて、今まで、「何か、違うと思うだけど」と感じていた点が、スッキリしました!基礎理論は、どこか実験室内のマウス向け(?)みたいに感じていて、実際の人々の症状は、もっと複雑で、理屈通りではないと思っていたのです。が、やはり、深いですね。一生かけても学びきれないと思いますが、まだまだ私の知らないことが沢山あると思うと、楽しみで、ワクワクします。
さて、針灸歴史を紹介します。
北京から遠くないところに周口店という所があります。その山に洞穴があり、六十九万年前に「北京猿人」が住んでいました、その洞穴には鋭利に磨いだ小石の破片が残っています。彼らは体の痛みのある部位を、その石針で刺して、痛みを和らげていました。それは針治療の始まりと言われています。「北京猿人」は火を用いて食べ物を煮ることを知っていて、それだけではなく、身体を暖めることによって、痛みを抑えることも知っていました。それから、艾(モグサ)が容易に燃えることも発見すると、次第に灸治療もできるようになりました。両者が合わせると、現在の針灸になります。
針は石針から、骨針、竹針、銅針、鉄針、金針、銀針と移り変わり、最初は「以痛為腧」と呼ばれる痛みある個所を、刺す方法でしたが、のちに「遠道取穴」と呼ばれる痛みから離れたツボ治療方法が発見しました。そのツボを繋げると、星座のようになり、所謂「経絡」です。晋の時代、皇甫謐は《針灸甲乙経》に349のツボを記載してあります。