こんにちは、周です。今回は典故―「孟母三遷」を話します。
孟子(紀元前372?~289年)は戦国時代、中国の儒学者です。「孟母三遷」「孟母断積」は、母が孟子を育てた時の有名話で、世間に知られていますが、その「三遷」って、どんな「三遷」なの?以下はその「三遷」を紹介します。
原文:昔孟子少時、父早喪、母守節。居住之所近於墓、孟子学為喪葬、躄踊痛哭之事。母曰:「此非所以居也。」乃去、舎市、近於屠、孟子学売買屠之事。母又曰:「亦非所以居也。」継而遷於学宮之旁。毎月朔(夏歴毎月初1日)望、官員入文廟行礼跪拝、揖(拱手礼)進退、孟子見了、一一習記。孟母曰:「此真可以居也。」遂居於此。
訳文:孟子は幼い頃、父を亡くし、再婚せずの母と二人で生活していました。最初は墓の近くに住んでいましたが、孟子が葬式の真似をし始めたので、母は引っ越しました。移った所は市場の近くで、彼が、今度、商人の真似事をし、母は再び家を移しました。次に越した所は学府(学問所)の近くで、やがて孟子が学問を志すようになりましたので、母はやっと安心しました。
この故事は史実ではないとされていますが、文中の寓言は、子供の育成に対する環境(住居、社交、家族、家庭など)の影響の重要性です。「孟母三遷」は、後世の母親の子育ちの手本となっています。
ご注意:「三」は多数(何回)の意味で、単純な数字の「三」(3回)の意味ではありません。
ちなみに、「孟母択鄰」、「慈母択鄰」とも言います。