王羲之は中国・東晋時代(317~419年)の有名な書法家(書道家)です。後世の人々は王羲之を書聖と呼びました。王羲之は書道に造詣が深く、その世界で非常に高い境地に達した人物です。これは王羲之が長い間、怠けることなく身体を鍛えつづけたことと切っても切れない関係にあります。
王羲之はもっぱら手首を鍛える体操を常日(習慣)に行っていました。これは王羲之が自身から編み出した(作り出した)もので、「鵝掌戯」と言います。「鵝掌」とは鵝鳥翅(鵝鳥の水かき)のことです。言い伝えによれば、ある日、王羲之が郊外にやって来たときのことです。王羲之は白くて、大きな鵝鳥の群れが池で泳いでいるのを見ました。その、ぷかぷかと水に浮いている様子がいかにも可愛らしかったので、その鵝鳥がどうしても欲しくなりました。
あとで人に聞いてわかったのですが、それは道教の寺院で飼育している鵝鳥でした。そこで、王羲之はこの白くて大きな鵝鳥を売ってくれないか、と道士(道教寺院で道教を信奉し、道教の教義にしたがった活動を職業とする人)に言ってみました。しかし、すげなく断られてしまいました。
さて、そのことがあってから、王羲之は「道徳経」を丹念に抄写(筆写)すると、親自上門(みずから門前に出向いて)、それを道士に手わたしました。道士はこれが名人の真迹(真筆)であるのを見て「願ってもないことだ」と、大喜び、そのお礼にと言って、ついに数羽の鵝鳥を王羲之に贈ったといいます。王羲之は贈られた鵝鳥を宝物のように可愛がり、池に放って飼うことにしました。
ある日のことです。王羲之はひまにまかせて、鵝鳥が水中で泳いだり陸地を歩いたりする様子をじっと睨むように見つめていました。長いこと観察を続けていた王羲之は、鵝鳥の優美な姿と正楷書体的筆画造形(楷書の筆づかい)と、ぴったりと一致していることに気づきました。つまり、あの白くて大きな鵝鳥の身体から正楷書体(書写)の極意を悟ったというわけです。のちに、王羲之はみずから「鵝掌戯」という一種の体操法を創り出して、朝晩その練習に励みました。「鵝掌戯」のしぐさの中心は水中での鵝掌の動作ですが、さらに鵝鳥の歩き方、ぱっと翅(翼)を広げる、えさを探すなどの動作や姿勢を組み合わせています。このように、全身を動かして体力をつけるだけでなく、腕や手首の力をも鍛え上げたのです。
王羲之は長年にわたって怠ることなく鍛錬したので、年をとっても身体は非常に壮健で、腕や手首の力、それに指の力も大変強かったといいます。王羲之は晩年になってなお「蘭亭序」などの、千年流伝(永遠に伝えられる)書の傑作を残しました。
蘭亭序は書道史上、最高傑作といわれながら、真跡は残っていません。本当に残念ですね。
道教は中国三大宗教(儒教・道教・仏教)の一つである。